2013年12月6日金曜日

仕事を分割するとあんまり多くないという話

普段会った人に、何の仕事をしているの?と聞かれるときは、
ハノイの現地社会企業の支援をしている会社で、コンサルタントとして働いています。と答えています。

自分の仕事を作業ベースで見ると、普段「仕事」としてやっていることは「コミュニケーション」と「ドキュメント作成」の2つだけだということに気づきます。
実際、ドキュメント作成だってコミュニケーションを補うために作っています。口で言うよりもわかりやすかったり、後に残ったりするのでドキュメントを作るわけです。


思ったことが二つあります。

自分の仕事は「伝える」ことが殆どということ。

クライアントが必要としている情報を、ある時はサポートしてくれる社会人の方々から、ある時は本などから補い、それをクライアントに伝えて改善を実行する。
その段階の前には、現状を正しく把握するためにクライアントとこまめなコミュニケーションをとります。

モノの売買における流通業者が価値を生み出しているように、情報を伝えること自体にも価値は発生するのだと思いました。(自分の考えを入れると、それは時に付加価値になるんですね)


もう一つは、作業ベースで考えると、この世の仕事ってあまり種類はないということ。

会話する、ドキュメンテーションする、作る、体を動かす(肉体労働者、役者、スポーツ選手とか)、操作する(運転士とか)。これらの仕事のために必要なインプットも仕事としても良いかもしれません。
もっと探したらあるかもしれませんが、これらの作業と、目的語(例えば「ケーキを作る」、の「ケーキ」の部分)の組み合わせだけで、星の数ほど仕事に分けられるわけですね。驚き。

それから、例えば今カフェのスクリーンでファッションショーが放送されているのですが、これを作り上げるのも、先の色々な作業を色々な人が色々な目的語をくっつけたものの積み重ねで完成していると思うとすごいなあと感じ入るわけです。

「作業の種類」と「目的語」の組み合わせ、という視点で世の中の仕事について考えたら、少しだけ具体的なイメージがわきました。

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