2014年1月11日土曜日

魚売りのおばあちゃんとルールについて

私はいつも徒歩で会社に通っているのですが、その途中にローカルのマーケットがあり、いつもそこを通ります。

マーケットの様子


ある朝、マーケットの様子がいつもと違うような気がしました。
これといった違いがあるわけではないのですが、いつもよりも静かな気がします。
マーケットを進んでいくと、公安の人が二人居るのを発見しました。
なるほどこれかな、と思いました。

公安というのは、日本で言う警察にあたる組織で、社会主義国ベトナムの治安や秩序を守る役割の人達です。
個人的には生活指導の先生みたいに見えなくもないです。

彼らは、路上で魚を売っているお婆ちゃんを取り締まっているようでした。
このおばあちゃんは毎日同じ場所で、プラスチックの風呂桶入った魚に囲まれながら、包丁で魚を捌いたり鱗を取ったりして売っています。

そこで交わされている会話を理解することは出来なかったのですが、おばあちゃんが魚やまな板や包丁を片付けているのを見ると、だいたい想像ができました。
おそらく、商売をしてはいけない路上で、このおばあちゃんは魚を売っていたのでしょう。

公安の人は、ルールにのっとっておばあちゃんを取り締まり、ルール違反であった路上の商売は消えて、また一つ乱れた秩序が正されました。




いや、でも…
とちょっとだけ反論したい気持ちになりました。

別に、良くない?
このおばあちゃんは毎日ここで新鮮な魚を売っていて、色んな人がそれを買いに来る。新鮮な魚とおばあちゃんはこのマーケットの一部のようなものだし、彼女が居なくなったらむしろ不便になる人もいるんじゃないだろうか。



ルールとか掟とかいうものは、複数の人達が集まって一緒に生活するときに、うまくやっていくための仕組みです。
ルールが決まっていれば、問題が起きた時にそのルールに則り、みんなが納得できる結論を出せます。
今回の話で言えば、もし路上で皆が自由に商売をしたら人やバイクの邪魔になるかもしれない。だから路上で商売するのは禁じよう。というルールが作られていたとします。
そのルールに則って、路上で魚を売るというお婆ちゃんの行為は取り締まられる。ということです。

でも、ルールに則って捌くことで秩序が守られることを除いて、お婆ちゃんが取り締まられることによる社会のメリットって、無いと思うんです。
ここにあるマーケット、あるいは町の人達は、彼らの中での暗黙のルールでもって上手くやっていたのではないかと思うのです。

ルールを決めることは重要ですが、ルールを、例えば都市部とこのローカルマーケットで、何も考えず同じように適用するのはちょっと違うように思います。

きっと理想的には、あらゆる詳細な個別具体的な状況ごとにルールが決められていることでしょう。
でもそれは現時点の社会では不可能です。せいぜい、原則にいくつかの例外を設ける程度しかできません。人の記憶には限界があるし、状況を判断するのに時間がかかってしまいます…



そんなことに頭を巡らせつつ、このお婆さんは今日の余った時間と残った魚をどうするんだろうとぼんやり考えていました。
おばあちゃんは翌日から何事もなかったかのように魚を売っていました。

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